【2018年夏タイ西部旅行】~旧泰緬鉄道の旅~ 序章|いつの日かファーストクラス

【2018年夏タイ西部旅行】~旧泰緬鉄道の旅~ 序章




2018年の夏、茶髪はタイ西部を旅してきました。


旅の目的は"旧泰緬鉄道"に乗りに行くため。


旧泰緬鉄道とは、第二次世界大戦中に旧日本軍がタイのバンコクからビルマ(現在のミャンマー)まで敷いた路線のことです。


この旧泰緬鉄道、戦時中に作られた木造の橋が現役で使われており、しかも列車が通らないときはその上を歩くことができるという、なんとも鉄道マニアとしては最高の路線なのです。


また、茶髪が訪れたのはお盆休みであり、旧泰緬鉄道は多数の死者を出し建設された路線のため、一人の日本人として鎮魂の意味も込めて訪問しました。


さて、今回は旅行記の序章として、タイ西部旧泰緬鉄道旅の概要と、旅の目的である旧泰緬鉄道について、歴史的背景や路線について説明したいと思います。

2018年タイ西部旅行~旧泰緬鉄道の旅~概要




今回のタイ旅行では成田からバンコクまでフライトし、そこから陸路(鉄道とバス)で移動して、ミャンマーとの国境のサンクラブリーという街まで行きました。

上記の画像の赤枠で囲んだ部分が今回旅したエリアです。





先ほどの赤枠のエリアを拡大した地図と、今回移動した経路を示した画像になります

青線のように、バンコクからタイ西部の街カンチャナブリーまで旧泰緬鉄道(タイ国鉄ナムトック線)で移動して宿泊した後、途中下車してタム・クラセー桟道橋を訪れ、終点のナムトック駅まで旧泰緬鉄道を乗り通しました。

また、現在は廃線となっており使用されていませんが、旧泰緬鉄道は戦時中はミャンマーのヤンゴンまで繋がっていました。

そこでオレンジ線のように、なるべくその路線跡と同じ経路で旅をしてみたいと思い、ミャンマーとの国境付近にあるサンクラブリーという街まで、ロットゥーというハイエースの乗合バスで移動して宿泊しました。

タイ西部旅行の旅行記の構成




今回のタイ旅行記は全4回構成で書きたいと思います。


・序章(本記事):旅の概要と旧泰緬鉄道の説明

・旧泰緬鉄道の旅 前編(バンコク~カンチャナブリ編)

・旧泰緬鉄道の旅 後編(カンチャナブリ~ナムトック編)

・美しき木造橋のある街 サンクラブリー編


前回の大型海外旅行のドイツ旅行記があまりにも間延びしてしまったため、今回は要点を絞って上記4記事で完結させることとしました。

茶髪の旅程上では、バンコク市内で数日間過ごしたりもしたのですが、そこは割愛して、あくまで旧泰緬鉄道にフォーカスを絞って記事を書きたいと思います。

旧泰緬鉄道(タイ国鉄ナムトック線)とは



旧泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、太平洋戦争中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道です。

旧日本陸軍によって建設・運行されましたが、戦後英国軍が日本軍捕虜に命じて部分的に撤去され、現在はサイヨークノイ~ナムトック間で運行されています。

この路線を建設する際には、捕虜が過酷な労働環境で働かされ、たくさんの死者を出したことでも有名です。

旧泰緬鉄道の歴史

旧泰緬鉄道は、戦時中の1942年に旧日本軍により建設が開始されました。

海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設され始めました。

建設は迅速さを要求されたため、ビルマ(現ミャンマー)側とタイ側の両方から開始しました。

建設の作業員には旧日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人、さらに募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた、タイやミャンマーなどの東南アジア出身の労働者数十万人が動員されました。

しかし、過酷かつ劣悪な労働環境であったため、工事中に合計5万人以上が死亡しました。

特に工事の後半は、インパール作戦に向けてさらなる迅速さが要求され、雨季にも関わらず、劣悪な環境下で無理な工事が進められました。

その結果、食料不足からくる栄養失調と、コレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数に上りました。

工事の途中、巨大な一枚岩を人力で掘り下げるなどしたチョンカイの切通しと呼ばれる箇所や、断崖絶壁に沿わせるように木橋を建設したアルヒル桟道橋など、鉄道を敷くには不向きな未開発の地の工事であったため、死者が多くなったようです。

こうした労働者の多大な犠牲のもと、当初5年は掛かると言われた建設が1943年10月に完成しました。

旧泰緬鉄道の路線図

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E7%B7%AC%E9%89%84%E9%81%93


旧泰緬鉄道は、バンコクのトンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)を始発駅として、その後西部へ進み、ナコーンパトム県、ラーチャブリー県、カーンチャナブリー県を通り、ミャンマー・ヤンゴンまで繋がっていました。

上記のように、戦時中旧日本軍がタイとビルマを結ぶために作られた路線のため、両国の主要都市であるバンコクとヤンゴンを結んでいます。

現在ではその一部分の、トンブリー~ナムトック間がタイ国鉄によって使用されています。

実現するかはわかりませんが、ミャンマー政府もこの旧泰緬鉄道を復活させようとしている動きがあるため、もしかすると遠い将来全線が復活するということもあるかもしれません。

タイ国鉄ナムトック線の見どころ



かつて旧泰緬鉄道と呼ばれていた路線の、タイ側の一部区間は、現在タイ国鉄のナムトック支線として運行されています。

この路線は建設当時、鉄道を敷くには非常に不向きな未開の地を通すことになりましたが、その一方で現在では深い自然の中を通っているため風光明媚さが観光客に人気になっています。

中でも多数の死者を出して建設した、大きな岩を切り開いて線路を通した「チョンカイの切り通し」や、旧日本軍とイギリス軍の間で激しい戦闘の末何度も落としては掛け直してを繰り返した、映画戦場に掛ける橋のモデルにもなった「クウエー川鉄橋」、崖っぷちに作られた木造の橋が、今なお現役で使われている「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」などが見どころになっています。

今回の旅では、途中カンチャナブリーに宿泊して、タイ国鉄ナムトック支線を始発から終点まで全て乗り通したので、写真を交えながら存分にその模様をお伝えする予定です。

まとめと次回予告

今回の記事では、2018年の夏に行った、タイ西部旅行~旧泰緬鉄道の旅~の序章を書きました。

本旅の目的は、旧日本軍が太平洋戦争中に建設した、旧泰緬鉄道を乗りに行くことです。

旧泰緬鉄道は、現在ではタイ国鉄がその一部を使いナムトック支線として運行しています。

今回はその路線を乗り通しつつ、さらに鉄道が通っていないミャンマー国境のサンクラブリーという街まで行った際の旅行記を書いてきたいと思っています。

ナムトック支線は、タイの手付かずの深い自然の中を走る風光明媚な路線のため、東南アジアの田舎を味わえる旅となりました。

またサンクラブリーでは、現地の人しかいない、タイの田舎を存分に味わうことができました。

さて、次回の記事では、旧泰緬鉄道の始発駅であるバンコクのトンブリー~カンチャナブリー駅間の乗車記を書きたいと思います。

お楽しみに。

参考文献

Wikipedia 泰緬鉄道ページ

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