【2018春ドイツ卒業旅行】その18~ニュルンベルク郊外で負の遺産巡り ナチス・ドイツの軌跡をたどる~|いつの日かファーストクラス

【2018春ドイツ卒業旅行】その18~ニュルンベルク郊外で負の遺産巡り ナチス・ドイツの軌跡をたどる~

前回の記事ではニュルンベルクの旧市街を散策した際の出来事について書きました。

世界遺産にこそなっていませんが、夜のニュルンベルク旧市街は幻想的で素敵な光景でした。


【2018春ドイツ卒業旅行】その17~夕暮れと日没後の美しきニュルンベルク旧市街を歩く~


ところでドイツ旅行もこの日が最終日。

午前中ニュルンベルク観光をした後、フランクフルト空港に向かい、日本への帰路につきます。

さて、今回はそんなドイツ最終日の午前中に訪れた、ニュルンベルクのナチス関連施設の跡地とナチス党のことを学べる博物館、帝国政党議会記念センターを訪問した際の出来事について書きたいと思います。

前置き

今回の記事で扱う内容が少しデリケートな話題なので、記事本編に入る前に少しばかし前置きをしたいと思います。


今回の旅行記で扱う内容、それはずばりナチス関連の施設です。


世界史の勉強を少しでもしたことがある人ならヒトラー、ナチスというワードは知っていることでしょう。

現在ドイツ国内では、ナチスに関連する言動をすると処罰されます。

例えば、ハーケンクロイツを描くのはもちろんダメですが、右手を上げるポーズ(ハイルヒトラーのポーズ)なんかも罰せられます。

これは外国人も例外ではなく、タクシーを呼ぶ際などは気を付ける必要があります。

そんなデリケートな話題を書くので、前置きをするわけです。


ところで、私たち日本人とも関連深い第二次世界大戦。

その引き金となった出来事を起こしたのは、ヒトラー率いるナチ党と言っても過言ではないです。

そんなナチ党の本拠地的な存在ともいえる都市、それがニュルンベルクです。


以前、茶髪がJGC修行中に沖縄を訪れた際、那覇観光の途中にシュガーローフの丘を訪れた記事を書きました。

過去記事
JGC修行第2弾 沖縄離島巡り最終回 ~那覇観光後半とラストフライト9レグ目福岡行き~


その時にも述べたのですが、私は現代を生きる人間として、今生きる現代がどのような歴史の上に成り立っているのか、過去にどんな出来事が起こったのか、またその舞台がどんな場所であったのかを知ることが大切だと思っています。

そのため、歴史上の舞台となった、いわゆる負の遺産を訪れることを過去何回かしてきました。

茶髪は基本的に国内旅行ばかりしていたので、旧日本軍の施設だったり、日本国内のそのような場所をいくつか訪れました。


ところで、今回は海外旅行です。

もちろん日本は関係なく、ドイツ独自の文化や歴史があります。

そんなわけでドイツの方には申し訳ないですが、茶髪の頭の中ではドイツと言ったらナチスのイメージがあったので、第二次世界大戦のきっかけを作ったナチ党の歴史を学びたいと思ったわけです。


結局のところ何が言いたいかというと、今回の記事ではナチス関連の内容を扱いますが、


決して極右な考えを持っていたり、ネオナチなんかじゃないんだからね!


ということが言いたいです。


あくまで歴史上の舞台に行ってみたかっただけ


ということを念頭に置いて今回の記事を読んでいただければ幸いです。

かつてナチス党の象徴であった都市"ニュルンベルク"

さて、気を取り直して記事本編です。

まずは今回訪れたニュルンベルクとナチスの関係について簡単に説明したいと思います。


国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチ党は、アドルフ・ヒトラーが率いる政党でした。

もともとナチ党はドイツ南部の都市ミュンヘン近郊で活動しており、ヒトラーの演説が行われる党大会もミュンヘンで行われていました。


1933年にナチ党はドイツの与党となり、ヒトラーがドイツの政権を率いることになりました。

その頃になると、ナチ党の党大会はミュンヘンではなくニュルンベルクで行われるようになりました。

また、同時期にニュルンベルクに大規模な建造物をいくつか作る構想を打ち出し、建設が進められました。


その名残、大規模な建造物のいくつかが未だにニュルンベルクの郊外に残っており、その中の一つであるドク・ツェントルム(現在帝国政党議会記念センター)は、ナチス関連の展示をしている博物館となり、今の世の中にナチスとはどのようなものであったのかを教える施設になっています。


さて、今回はそんな過去の負の遺産である大規模建造物の一つ、党大会広場の跡地と、ドク・ツェントルムを訪れたのでその模様を書きたいと思います。

かつてここには狂気が満ちていた"ツェッペリン広場"

ホテル近くの駅からUバーンに乗り込み、ニュルンベルク中央駅へ。

そこからSバーンで数駅先のFrankenstadion駅に降り立ちました。

何故ここに来たのか、それはとある構造物を見に来たからです。


それはナチスの党大会跡地です。


世界史の教科書なんかに、連合軍がドイツを占領した際に、ナチスのハーケンクロイツを爆破した写真や動画を見たことがないでしょうか。

以下YouTube動画の1分25秒あたりを見てください。

参考動画(YouTubeより)



このハーケンクロイツが爆破された施設、これこそが”ツェッペリン広場”というニュルンベルク党大会が開催されていた大規模建造物の一つなのです。


ところでこのツェッペリン広場、ほとんどの部分が取り壊されてしまいましたが、ヒトラーが演説していたお立ち台の部分とその周りの一部分だけが今なお現存しているのです。

そこでせっかくニュルンベルクに来たので、その跡地を訪れました。




そしてやってきました、ここがその有名なツェッペリン広場のお立ち台です。

かつてこの建物の中心にはハーケンクロイツが掲げられており、その周りにはたくさんの柱が建ち、まるで神殿のような姿をしていました。

ほとんどの部分が戦後破壊されてしましましたが、お立ち台付近の土台の部分は、コンクリートで作られているためか21世紀の今現在も壊れることなく現存しています。




このお立ち台、本当にただポツンと放置されているだけなので、入場料など特に何もなく、普通に上まで登ることができます。

写真右側に見えているのがお立ち台です。

せっかくなので、ヒトラーが立っていたお立ち台まで行ってみることにしました。

一段一段が高い階段を登りながら上を目指します。




途中、当時の写真と共にこの施設のことを紹介している看板がありました。

破壊される以前の神殿のようなかつての姿を写真で見ることができます。

当時のナチス政権は、ニュルンベルクのこのエリアに大規模な構造物をいくつも建造し、国民にファジズムの力強さをイメージさせる政略だったようです。





上まで登ってくると、下から見たときにはわかりませんでしたが、お立ち台とかつてハーケンクロイツが掲げられていた建物の間はこのようにひな壇のような構造になっています。

またかつてハーケンクロイツが掲げられていた場所の真下には大きな扉があります。

この中には入ることができませんが、おそらくこの内部は重要人物などしか入れない部屋があったのでしょう。

この扉からは階段が続いており、この先に下から見えたお立ち台があります。





反対側の風景はこんな感じです。

階段はお立ち台へと一直線に繋がっています。

かつてこの階段付近のひな壇にはたくさんのナチ党の重鎮が座り、この中心の階段を重鎮たちの歓声の中ヒトラーが降りていったのでしょう。




階段を降りて行き、お立ち台に到達しました。

2018年の今現在、かつてヒトラーが立っていたお立ち台からの風景は、このようにサッカー場と駐車場が広がり寂しい光景となっています。


しかし、約80年前、ここにはたくさんの群衆が集まり、人々はナチス政権を支持し党大会で声高らかにファシズムこそがドイツを救うと叫んでいたわけです。

人っ子一人いないこの光景からはとても想像できませんが、かつてここでナチスの党大会が開かれ、数十万という群衆が集まっていたかと思うと、なんともいえない不思議な気持ちになります。


また、こんな場所にただの凡人の日本人が立てるようになった現代は、とても平和な時代なんだということを実感しました。

ここ数年、どこか世の中がきな臭くなっているような気がしますが、かつて世界を地獄に突き落としたヒトラーが立っていたこのお立ち台で、第二のヒトラーのような人物が誕生しないことを心から願いました。





しばしお立ち台からの風景を眺めた後、今度はこの施設の近くにあるドク・ツェントルムを目指します。

先程のお立ち台を背に向けて、湖の方へ歩いていきます。





少し歩くと、湖横の遊歩道のような道に出ました。

そこからの風景はこんな感じです。

ところでこの写真、ただの湖の写真に見えますが、よくみると湖面は凍っているのがわかるかと思います。

2月下旬のニュルンベルクの朝はかなり冷え込むようで、湖の水も凍ってしまうようです。

ナチス時代の大規模建造物をそのまま利用した博物館"ドク・ツェントルム"




湖の対岸にオレンジ色の大きな建物を見ることができます。

これこそがドク・ツェントルムです。

ドク・ツェントルムの正式名称は帝国党大会地区記録センターという博物館です。

このドイツ語表記を略したものがドク・ツェントルムというそうです。

内部にはナチス関連の資料が展示されており、ナチスとはどのようなものだったのか学ぶことができる博物館になっています。

この建物、元々はナチスが建築途中だった会議場という建物で、完成する前に第二次世界大戦の敗戦が決定してしまい現在のような形のままになってしまったようです。





遊歩道の途中にはいくつかこのような看板があり、1933年~1945年のナチス政権時代の写真と共に説明が書いてあります。

もちろんドイツ語で書いてあるので内容はわかりませんが、当時のこの湖の風景や人々の生活風景などが載っており、かつてこの地域がナチスにとって重要な地域であったことがわかります。





ツェッペリン広場から歩くこと30分程でようやくドク・ツェントルムに到着しました。

寒空の下歩き続けて体が冷え切っていたので、早速中に入ろうとすると…





入り口付近には大量のドイツ人の若者がいました。

おそらく高校生ぐらいの年齢だと思うのですが、どうやら学校か何かの社会科見学で来ているようです。

ドイツではナチス政権時代の出来事はタブーとされていますが、このように若いころからしっかり教育されるのは大変良いことだと思います。

日本の学校も、もっとしっかりと第二次世界大戦中に旧日本軍がどんなことをしてきたのか教えるべきだと思いますね。






受付でチケットを買い、いよいよ博物館に潜入です。


ところでチケットを買う際にある出来事があったので話を脱線したいと思います。


チケットを買った際に、受付にいた赤毛のお姉さんが、

「この博物館ドイツ語の説明しかないから英語のオーディオガイド持っていく?」

と聞いてくれました。


あらそれは困ったと思いましたが、茶髪は残念なことに英語のリスニングなんてまったくできません。


そこで、

「すまん、英語少ししかできないのだよ」


と伝えると

「あらそうなの、何語ならわかる?」

と言われました。


うーんと悩んだ素振りの後ドヤ顔で、

「ジャパニーズオンリーさ」

というと、かわいいお姉さんから笑いが取れました。

ただそれだけです 笑


さて、余談はこれぐらいにして博物館内部に潜入です。

チケットは大人5ユーロです。





入り口から歩いていくとまず最初にプチシアターのようなものが現れました。

ここでは、ちょっとしたナチスを紹介するムービーが流れていたのですが、これが結構面白かったです。

内容は、今どきのドイツ人の若者が、この周辺にあるナチス関連の施設を訪れると過去にタイムスリップ、当時の動画が流れて、そこがどんな場所だったのかが紹介される。

というような内容でした。

もちろんドイツ語の動画でしたが、ムービーというのは言葉がわからなくてもなんとなく人物の表情や動画の構成で内容が伝わるものなので不思議ですね。

おかげでなんとなく周辺施設がどんな目的で作られたのか理解することができました。


さてここからは色々な過去の写真やポスターがあったので、写真と共に説明したいと思います。

館内は写真撮影可なので、ドイツ語を読めない茶髪はただひたすらに写真を撮り続けました 笑





ツェッペリン広場に大砲が置かれている写真、右側にはお立ち台付近にたくさんのドイツ人が右手を掲げている映像が映し出されています。

先ほど訪れた際にはただの廃墟のような感じで活気がまったくありませんでしたが、ナチス時代のあの広場には狂気が満ち溢れていたのがよくわかります。





昨晩訪れたニュルンベルクの街中も、当時はナチス一色だったようです。

軍服を着たドイツ兵、ハーケンクロイツの旗など現在の街中の雰囲気とはまったく異なる光景です。





こちらのヒトラーの写真が載っている本。

その名も「Mein Kampf」

日本後に訳すと我が闘争。

ナチ党の指導者であったヒトラーが、1923年のミュンヘンで起こしたクーデター未遂で逮捕された際に、獄中で執筆した本です。

世界史の授業などで一度は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。

全2巻で構成され、自身の生い立ちや、ナチ党結成に至るまでの経緯、反ユダヤ主義、政治的思考などの内容が書いてあるそうです。

ちなみにこの我が闘争、ドイツ国内では禁書として扱われています。

禁書であるこの本の本物が置いてあるのは、ドイツ内では非常に珍しいことだと思います。





当時の町中を軍用車が走っている写真と、ハーケンンクロイツが書かれた政治的なポスターです。

手前のポスターには、Unsere Letzte Hoffnung Hittlerと書いてあり、グーグル先生に尋ねると、私達最後の希望ヒトラーという意味だそうです。

第一次世界大戦の敗戦や、世界恐慌によって苦しい状況にあった当時のドイツ。

その状況を打破できるのはナチスだけと思わせるためのポスターなのでしょう。





ナチス時代のブランデンブルク門の写真がありました。

門の前を軍人が歩いています。

ベルリン旅行記の際にも書きましたが、ブランデンブルク門はナチスの時代以外にも、東西ベルリンなど様々なドイツを見てきたのですね。

歴史的にもドイツの象徴にふさわしい構造物だと思います。





右側にはハーケンクロイツの横断幕が掛けられている議会の中心でヒトラーが演説している写真、左側には強制収容所に連行されるユダヤ人の写真が展示されていました。

繁栄するドイツと虐げられるユダヤ人。

この対比は考えさせられるものがあります。





この博物館は、通路の途中にこのように天井から大きな写真が飾られているなど、独特な展示方法も特徴です。

この写真に写っているのは少年兵たち。

ナチスの特徴の一つは、徹底的に幼少期から洗脳教育をしたことです。

洗脳教育を受けた子供たちはやがて銃を手に取り軍隊に入ります。

第二次世界大戦の末期、ドイツ軍は壊滅的な状況でしたが、最後の最後まで少年兵たちに勲章を与えるなどして戦意を与えて戦わせていたようです。





熱心にハーケンクロイツの国旗を高々に上げて声援を送る女性たち。

どのような場面で撮影された写真かはわかりませんが、ナチスこそがドイツを救うと信じて声援を送っていたのでしょう。





通路を歩いていくと、突如とびきり大きな写真が現れました。

大群衆の中、ナチス国旗を掲げた兵士たちの合間を堂々と歩くヒトラーの写真です。


決して政治的な意見ではないと先に申した上で述べさせてもらいますが、

この写真、カメラが趣味な人間として、純粋にすごくかっこいい写真だと思いました。

まるで何かのゲームのラスボスのようなものすごい迫力を、一枚の写真で表現できるというのはすごいと思います。

このような状況で写真を撮ることができた、この写真を撮影したカメラマンを少し羨ましいとすら思います。


逆に言えば、こんな写真が翌日の新聞に載って「ヒトラー率いるナチスはドイツを救う!」

なんて掲載されていたら、茶髪みたいな単純な奴はまんまとプロパガンダの餌食になることでしょうね。


色々な写真を見れば見るほど、ナチスの洗脳力というか、国民を惹きつける力というのはすごいものだなと感じます。





ところでこのブログは最近は旅行記ばかり書いていますが、もともとは飛行機ネタを中心に書く目的で作成したブログです。

そこで、ほんの少しだけですが飛行機成分を。ということで、ナチス政権時代のルフトハンザ航空の写真です。

ニュルンベルク上空を飛んでいるところを空撮した写真のようですが、注目すべきは尾翼の塗装です。

ルフトハンザといえば有名な鶴マークが特徴ですが、ナチス時代のルフトハンザはそのマークを捨て、ハーケンクロイツを掲げていたようです。

こんなところでも当時のナチスの影響力が感じられます。





このポスターは帝国議会の街ニュルンベルクという言葉がかかれているようです。

ナチスとニュルンベルクの関係がいかに密であったかがわかるポスターです。





当時のニュルンベルクの街中を写した写真です。

今の観光客が歩いているニュルンベルクからは想像できない光景です。





この地図と下の模型の写真は、このエリア一帯の大規模建造物の計画を示したものです。

ここドク・ツェントルムがもし完成すると、ドーム場の会議場が出来上がったようです。

また周辺にも党大会が開かれたツェッペリン広場や、その他にも大規模建造物をいくつも作る予定だったようです。

一説によると、ヒトラーは古代ギリシャやローマの神殿のようなものを作りたかったらしいです。

力強いナチスの象徴としてこれらの大規模建造物を建築したかったのでしょう。









大規模建造物の工事計画の模型を眺めるヒトラーの写真や、それぞれの建造物がどんなものであったか、また最後にはニュルンベルクで開かれた党大会の写真が展示されていました。

ドイツ語が読めれば大変詳しく説明がされているので、どのような計画だったのか理解することができるのに残念です。


ところで最後の党大会の写真、この広場の様子をよく覚えておいてください。

特に奥側の柱が何本もある建物を見てください。

あとで伏線回収するのでお楽しみに。





ドイツ語表記なのでおそらくなのですが、第二次世界大戦中のドイツの領土を示した地図だと思います。

隣国のポーランド、オーストリアに侵攻したドイツ軍は、その後、東はソ連、西はイギリス、フランスと戦っていました。

この地図を見ていて思ったのが、もし東側のソ連がドイツを食い止めることができなかったらどうなっていたのか、ということです。

正直西側のイギリス、フランスだけではナチスの威力は抑えられなかったのだろうなと思います。

まあそんな空想論は別として、わずか数年間でこれだけ他国に侵攻して、とんでもない数の犠牲者が出たことを考えると、やはりヒトラーは悪の権化だと思います。





世界史の教科書でニュルンベルクという名前が出てくるのは、おそらくニュルンベルク法とニュルンベルク裁判の2つではないかと思います。

その1つ、ニュルンベルク法が可決された際の写真と、資料が展示されています。

ここでニュルンベルク法について簡単に説明します。

ニュルンベルク法とは、ナチス政権が可決した、ドイツ人の血と名誉を守るための法律と帝国市民法2つの法律の総称です。

アーリア人の名誉を守るため、非アーリア人種やユダヤ教徒から公民権を奪い取った悪名高い法律として有名です。







本物かはわかりませんが、当時のニュルンベルク法可決時の資料も展示されていました。

当時のナチス政権の重鎮達のサインも書かれています。





先ほどの展示スペースからさらに進むと、薄暗くだだっ広い空間が広がっています。

何か薄気味悪さを感じます。





このエリアに展示されているのは、ユダヤ人迫害に関する資料です。

あまり近くで撮るとかなりグロテスクな内容だったので、少し引き気味の写真です。

殺害、もしくは餓死したであろうユダヤ人を土に埋める様子や、銃殺した後の写真など、目を覆いたくなるような展示がされています。





そしてこの写真は強制収容所の門の写真です。

ドイツ各地から貨車に乗せられたユダヤ人は、この門から強制収容所に入り、地獄の日々を送ったのです。

ベルリンの交通博物館に当時の貨車が展示されていましたが、言葉の通り、本当にただの貨車でした。

とても人間が乗るような車両ではなく、木造のあの狭い貨車に百人近くの人が乗っていたかと思うと言葉を失います。

当時ドイツ領であった隣国ポーランドには、有名なアウシュビッツ強制収容所がありますが、ナチスのことを学んだ上で、機会があれば一度訪れてみたいです。





ユダヤ人迫害の展示エリアが終わると、今度は第二次世界大戦末期~敗戦時の写真が展示されています。





ドイツ敗戦後、ハーケンクロイツの上で星条旗を振るアメリカ軍の写真です。

ドイツ、ナチスが敗戦したということがよくわかる写真ですね。

またこの周辺には、空襲によって壊滅的な被害を受けたニュルンベルクやその他ドイツの市街地の写真が展示されています。

今でこそ綺麗な街並みを取り戻したニュルンベルクですが、たくさんのドイツ人の苦労があって今の街並みが復元されたのだろうなと思いました。





先ほどニュルンベルクという名前で有名なものはおそらく2つあると書きましたが、その2つ目がこのニュルンベルク裁判です。

ニュルンベルク裁判とは、第二次世界大戦で敗戦したドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判のことです。

A級戦犯やB級戦犯という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、敗戦国の要人達にどのような罰を与えるか決めたり、戦勝国側に敗戦国側からどのような賠償席にを負わせるか決める会議のことです。

ドイツの場合は、ナチス政権の本拠地であったニュルンベルクで裁判が実施されました。

その際の写真や資料が展示されています。





ニュルンベルク裁判の際の資料もたくさん展示されています。

写真は載せませんが、おそらく死刑の判決が出たであろうナチス要人を埋葬する写真も展示されていました。







そして最後にあるのが、戦後のドイツの様子です。

これらの写真はツェッペリン広場の写真です。

戦後しばらくは神殿のような建物がそのまま使われていたようですが、その後粉々に破壊され、今のような形になったようです。

その破壊時の写真も何枚か展示されていました。





展示エリアからさらに通路を歩くと、外の展望台に繋がっていました。

オレンジ色の半円上の建物の構造を眺めることができます。

今まで結構な時間博物館の中を歩いてきましたが、今まで歩いてきたのはこの建物のほんの一部のエリアなのだと思うと驚愕しました。


もしこの青空が広がっているところにドーム状の屋根があったとしたら、それはもうとんでもなく大きな構造物になったことでしょう。

ナチスの行いは許されるものではありませんが、完成した姿も見てみたかったと少しばかり思いました。





先ほどの展望台から通路を歩き出口に向かいました。

なんだかんだで2時間近く展示を見ていました。

もしドイツ語が読めるならまる1日時間をかけても良さそうなボリュームでした。

現在では静かな時間が流れる公園になった"ルイトポルトアリーナ"





先ほどのドク・ツェントルムから徒歩5分ほどの距離に、広々とした公園があります。

実はここもかつてナチス関連の施設の一つだったのです。





この建物、何か見覚えはないでしょうか。

先ほど記事の途中でこの写真をよく覚えておいてくださいと書きました。


そう、この場所はドク・ツェントルム内の写真にもあった、かつて実際にナチス党大会が行われた場所なのです。


その名もルイトポルトアリーナ。

ナチスのプロパガンダ映画、意志の勝利で出てくる以下の写真の舞台です。



参考:Wikipediaより (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%BF%97%E3%81%AE%E5%8B%9D%E5%88%A9)


この写真の場所こそが先程の写真の場所なのです。

地面の正方形がたくさん書かれているような模様が一致していることがわかるかと思います。





Wikipediaの写真と同じ方角を眺めてみます。

かつてルイトポルトアリーナだった場所は、現在では芝生が広がった静かな公園になっています。

しかし、とても信じられませんが、かつてここにナチス支持者と党員が大集結した狂気に満ちた光景があったのです。


ドイツが地獄に陥った第二次世界大戦から73年。

かつてナチスによる恐怖の独裁政治の舞台であったニュルンベルクは、現在では平和な静かな時間が流れています。

今後もこの平和な時間が長く続くことを心から祈るばかりでした。





ルイトポルトアリーナ跡から10分ほど歩くと路面電車の電停があります。

Googleマップでニュルンベルク中央駅までの経路を調べると、路面電車を利用するのが早そうだったので、この方法で帰ることにしました。

電停にある券売機で切符を購入。

バリデーションは電停ではできないので、車内にある刻印機で打刻しました。


そんな感じでニュルンベルク中央駅に戻り、この後はそこからフランクフルト行きのICEに乗ってフランクフルト中央駅へ向かいました。

長くなったので今回の記事はここまでにしたいと思います。

まとめと次回予告

今回はニュルンベルクにいくつかあるナチス関連の跡地と博物館を訪れた際の写真を中心に記事を書きました。


朝の9時頃、ホテルをチェックアウトした後、UバーンとSバーンを乗り継いでFrankenstadion駅に降り立ちました。

ここにはかつてナチスが党大会を開催したツェッペリン広場の跡地があり、ヒトラーが演説したお立ち台付近の一部分だけ残っています。

そのお立ち台に登り、そこからの光景を眺め、平和な時間の尊さを感じました。


その後、ツェッペリン広場の湖の対岸にあるドク・ツェントルムへ。

ここはナチス時代の施設の一部を再利用した博物館で、ナチス時代のドイツやユダヤ人の迫害、ナチスの敗戦までの出来事を学ぶことができます。

展示されているナチス政権下の人々の写真を見て、いかにナチスの人を引きつける力が強大であったか目の当たりにしました。

当時のドイツの人々は、本気でナチスに救いを求めていたのだということを実感しました。


博物館を見学した後は、近くにあるルイトポルトアリーナ跡へ。

ここもかつてナチスの党大会が開かれた場所です。

現在は一部分のみ建造物が残されており、他の大部分は芝生が広がる公園になっています。

かつてナチス支持者や党員で埋め尽くされたルイトポルトアリーナは、現在では人もまばらで静かな時が流れていました。


記事本編でも書きましたが、現在の世の中は少しきな臭くなっている気がします。

かつて地獄の中心であったドイツのニュルンベルクで、第二のヒトラーが生まれて再び世界に地獄が陥らないよう心の底から願いました。


さて、この後はニュルンベルク中央駅へ戻り、そこからICEに乗ってフランクフルト中央駅を目指します。

なぜならこの日の夜、ついにドイツを離れ日本へと帰国するためです。

ニュルンベルクからフランクフルトまでは約2時間半の列車旅。

フランクフルトで観光をするか迷いましたが、旅最終日で疲労困憊だったので、早めに空港に行きラウンジ内で休憩することにしました。

次回はフランクフルトまでの移動、フランクフルト空港内での出来事と、日本への帰国便に乗った際の内容について書きたいと思います。

お楽しみに。


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